心と気功

なぜ、気づくとまた緊張に戻ってしまうのか

―「自然体」になれない、心身の構造的理解―

自然体でいようと思っているのに、
気づくとまた緊張している。

力を抜こうとしても、
一瞬はゆるむのに、
少し時間が経つと、元に戻ってしまう。

自然体でありたい、
ありのままでいたい、
そう願う多くの人が、この繰り返しを経験しています。

そして、そのたびに
「まだ足りないのかな」
「やり方が違うのかな」
「もっと委ねられたらいいのに」
と、自分の在り方を疑ってしまう。

けれど、
氣功の視点から見ると、
この現象はとても自然なことです。

それはあなたの意志や努力の問題ではなく、
そうなってしまう構造の中で日常を生きている
というだけの話なのです。

 

私たちの日常は「外に向かい続ける構造」になっている

現代の生活は、
朝起きてから眠るまで、
ほとんどの時間が外側に向けられています。

スマホ通知
タスク管理
家族の世話
仕事の責任
評価
周囲の期待
場の空気

誰かの言葉に反応し、
情報を処理し、
判断し、
期待に応え、
役割を果たす。

これは社会で生きるために必要な営みであり、
間違いでも、悪いことでもありません。

ただ、
意識が外に向くとき、
身体は自動的に緊張します。

これは「考えすぎ」でも「心が弱い」からでもなく、
危険や変化に備えるための、
とても古い生命の反応です。

つまり、
緊張してしまうのは異常ではなく、
正常な反応なのです。

 

問題は、緊張することではない

本来、人の身体と意識は、

外に向かう
内に戻る

という往復を前提にしたつくりをしています。

活動し、
休み、
回復し、
また動く。

この行き来があって、
はじめてバランスが保たれます。

ところが今の日常は、

外に向かう
外に向かう
さらに外に向かう

という、ほぼ片道の構造になっています。

緊張は生まれる。
けれど、
そこから自然に戻る場所がない。

だから、一度ゆるんでも、
また元に戻ってしまう。

これは、
「戻る力が足りない」のではなく、
戻る構造が用意されていない状態です。

 

一瞬ゆるんでも、また戻ってしまう理由

深呼吸をしたとき。
音楽を聴いたとき。
自然の中にいるとき。
誰かと話して安心したとき。

たしかに、身体がゆるむ瞬間はあります。

でもそれは、
日常の構造そのものが変わったわけではありません。

外側に向かい続ける前提がそのままであれば、
身体はまた自然に、
元の緊張状態へ戻っていきます。

これは、
方法が間違っているからでも、
感覚が鈍いからでもありません。

戻らざるを得ない流れの中にいる
というだけのことです。

 

自然体は「つくるもの」ではない

自然体であろうとするとき、
私たちは無意識に
「正しい状態」をつくろうとします。

でも、氣の観点からいえば、
自然体は達成する状態ではありません。

本来それは、
何かを足した結果ではなく、
無理がほどけた結果として現れるものです。

もっと正確には、
無理をしなくなった結果、思い出されるもの。

そして、
無理がほどけるためには、
ほどけてもいい場所が必要になります。

評価されない。
何かを成し遂げなくていい。
ちゃんとしなくていい。
そのままでいい。

そういう前提が、
日常のどこにも存在していないとしたら、
身体が緊張を手放せないのは、
とても自然なことです。

 

「戻れない」のではなく、「戻る場所がない」

自然体に戻れない。
緊張が抜けない。
続かない。

それは、
あなたが間違っているからではありません。

緊張が生まれる構造の中にいながら、
そこから自分に還ってくる通路が
日常の設計に含まれていない

ただ、それだけのことです。

この構造を知らないまま、
自分を責め続けてしまう人は、とても多い。

でも、
責任を引き受ける場所は、
本来そこではありません。

 

では、人は本来、
どこで、どのようにして
自分に戻っていたのでしょうか。

そして、
なぜ今、それがこんなにも難しくなっているのでしょうか。

それを考えるところから、
氣功の話は始まります。

この話にご興味があれば
こちらのコラムへお進みください。

▶ 人はどのようにして「自分」に還っていったのか

 

 

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