観照とは、物事を評価したり、変えようとしたりせず、心と身体の動きを そのまま見守る意識 のこと。
「良し悪し」「成功・失敗」といった判断の前にある、静かな“気づきの場”。
三和氣功では、この観照こそが内側の静けさとつながり、
氣が自然に調っていくための入口だと考えています。
❖ 分析と観照の違い — 操作と受容の違い
分析は、「どうして?」「なぜ?」と意味づけをする意識。
観照は、分析の手前にある “そのまま感じる” 意識。
観察=能動的
観照=受容的・静的
観照では、
現象に意味付けをしないため、心も身体もゆるみ、氣の流れがそのまま立ち上がりやすくなる。
❖ 観照が起こると、反応が反応で終わる
怒り
悲しみ
ざわつき
緊張
これらが生まれても、巻き込まれず、そのまま見守ることができる。
感情は“観られる側”になり、あなたは“観ている主体”へと戻る。
そのとき、内側に隠れていた静けさがふっと現れ、身体の深部がゆるみ始める。
観照とは、
反応を止めるのではなく、反応を自由にさせてあげる意識
と言ってもいい。
❖ 観照が深まると“中点”に触れやすくなる
観照は、判断を手放した静けさ。
中点は、陰陽のあいだにある静けさ。
二つは非常に近い働きを持っている。
観照の意識が深まるほど、思考や感情の波が自然におさまり、
あなたは中点に“置かれていく”。
そして中点に還るほど、氣が勝手に動き始め、生命の自然な流れが回復していく。
観照は、中点への静かな橋。
❖ 観照は癒しと創造の源泉
観照の状態では、力みや抵抗がなくなるため、身体・心・世界が“本来の方向”へ動き出す。
- 癒しは自然に起こる
- 感情は自然に流れる
- 現実は自然に整う
「操作しない」ことがもっとも深い変化をもたらす。
観照は、癒しと創造の両方の始まりの場所。
三和氣功の“創造主意識”も、観照の土台なくしては成立しない。
❖ 三和氣功における観照 — 本当の自分が現れる場所
三和氣功では、観照は単なる“受け身”ではなく、深い静けさから世界と関わる在り方。
- 自分を責めず
- 他者を裁かず
- 現象をコントロールせず
- ただ今の流れを見守る
そのとき、
“観ている意識”の方が本質であり、悩みや感情はただの通り雲であることがわかってくる。
観照は、「本当の自分」に還る入り口であり、玄・空とつながる静寂の根源です。