玄(げん)とは、陰と陽が分かれる前の「未分化の源」を示す言葉。
全ての動きが静けさから生まれ、静けさへと還っていく、その“中心点”です。
三和氣功では、白と黒の氣、陰陽、内と外、私と世界──
そのすべてがひとつの静寂へ溶ける場所として玄を大切にしています。
❖ 玄は「二つが一つに戻る」地点
陰と陽が生まれる前、世界がまだ“ひとつの静けさ”だった瞬間。
タオの言葉では「玄牝の門(げんぴんのもん)」といわれ、
全ての創造の源であり、あらゆる現象が還っていく母体のような場所。
二つに見える力が、本当はひとつの流れとして働いていた──
その“同時性”が玄です。
❖ 陰陽を超えるとは、どちらにも偏らないこと
陰にも陽にも寄らず、押すでも引くでもない。
凍りつくでも燃え上がるでもない。
“中点”の静けさが深まるとき、陰陽を分けていた境界線がふっと薄れます。
そのとき意識は、「どちらも正しいし、どちらも間違っていない」
という深い安心に触れる。
この“分別のない知性”が玄の感覚です。
❖ 無極(ゼロポイント)との呼応
物理学では、宇宙の底には「ゼロポイントフィールド」があり、
静けさにもエネルギーが満ちていると言われます。
これはタオが語る“玄”と非常に近い。
動きが止まったゼロ点ではなく、静寂の中に膨大な可能性が凝縮された場。
三和氣功が扱う「無極」「中点」「静寂意識」これらはすべて玄の働きと重なります。
❖ 三和氣功における玄(げん)
三和氣功の“玄”は、単なる哲学ではなく、身体で感じられる統合の体験。
- 白い氣と黒い氣が溶けあう
- 内側と外側の境目がやわらぐ
- 頭の静けさが深まり、意図が消える
- なのに、生命力は自然に立ち上がる
これは「静けさの中で、創造が起こる」
という玄の働きそのもの。
玄とは、“何かをする前の在り方そのもの”。そこに戻るほど、氣は自然に調い、
世界は静かに動きはじめます。
❖ 玄は“創造主意識”の入口
玄は「操作」ではなく「在る」。
この“在る”という状態の深さによって世界への影響が変わる。
意図しようとしなくても、努力しようとしなくても、ただそこに在るだけで
調和が広がっていく。
三和氣功のアドバンス〜マスターで扱う“創造主としての在り方”は
すべてこの玄の理解の上に成り立っています。