気功と哲学 気功について

戦いをやめるとき、「本当の自分」に出会う。

― 抵抗のエネルギーが静まるとき、心は自由になる ―

私たちは、知らないうちに「自分との戦い」を続けています。
過去の出来事に心を囚われ、変えられなかった自分を責め、
誰かへの怒りを手放せずに、内側で小さな戦いを積み重ねている。

けれど氣功の世界では、抵抗こそが氣の滞りを生むと考えます。
筋肉が緊張すれば血流が滞るように、心が抵抗を続けると、
氣の循環が閉ざされ、生命のリズムが乱れていくのです。

 

抵抗をやめる ― 「許せない」という感情を観る

「許せない」「許されない」「許してはいけない」。
これらの感情は、他者に向けられているようでいて、
実のところ、自己内部の対立構造を示しています。

心理学的に言えば、これは「防衛的同一化」の一形態。
痛みを感じたくない心が、外部の誰かを通して
“内なる傷”から目をそらそうとする働きです。

しかしその防衛が、結果的にエネルギーの滞りを生み出す。
氣功では、怒りや罪悪感の根底には「愛の氣」があると捉えます。
本来、他者や世界とつながろうとするエネルギーが、
恐れによって遮断され、「攻撃」や「拒絶」という形で現れるのです。

だから赦しとは、道徳的な行為ではなくエネルギーの回復です。
「許そう」と努力するのではなく、
「もう戦わなくていい」と自分に静かに伝えるとき、
防衛の力がほどけ、氣が流れ始めます。

赦しは意志の力ではなく、抵抗をやめたときに起こる自然現象なのです。

 

真なる自由 ― 無為の力が働く場

赦しとは、誰かに謝ること、許してもらうことで得られるものではありません。
それは、内なる戦いが終わること。


手放すまいとしがみついていた感情や記憶がなくなっても、
その奥に“在る”という感覚が残っているとき、
私たちは本当の静寂に触れています。

老子はこの状態を「無為」と呼びました。
「何もしない」ことではなく、
「何かをしようとしない」状態――
つまり、操作をやめ、自然の働きに任せることです。

神経科学的にも、この静寂の状態では
副交感神経が優位になり、脳波はα〜θ帯へと移行します。
心拍・血圧・呼吸が整い、
脳内ではGABA(抑制系神経伝達物質)が増加し、
過剰な緊張が解かれていく。

それはまるで、
「自分」という名の楽器が再び調律されるような瞬間です。

氣功の実践では、この状態を「鬆・静・虚(ゆるみ・静まり・空)」と呼びます。
力を抜き、静まるほど、氣は自然に通い、心は整う。
それが「静中動」――動かずしてすべてが調う、内なる自由の境地です。

 

終わりに ― 癒しとは、自然の秩序に還ること

癒しとは、何かを変えることではなく、
生命の秩序に還ること

努力してつくり出すのではなく、
抵抗をやめ、静けさの場に身を置くとき、
自然の力が、私たちをもとある調和へと導いてくれます。

感謝も赦しも、静けさの中から静かに芽吹く。
「変えよう」とする力が手放されたとき、
すでに世界は調いはじめているのです。

その気づきこそが、
心の自由であり、氣の自由でもあります。

そして、その時こそ「本当の自分」と出会う時。

 

この静けさは、何かを“得る”ことで訪れるのではありません。
戦いをやめたその瞬間に、すでにここに在る。
それが、癒しの本質であり、自由という名の静寂なのです。


📘 補記:思想的背景
  • 老子『道徳経』:「為無為、則無不治」
     ── 無為にして治まらざるなし。抵抗をやめるとき、自然は自らを整える。
  • トランスパーソナル心理学:自己受容は防衛の弛緩であり、意識の統合過程。
  • 神経生理学:静寂状態での副交感神経優位・GABA増加は、脳内恒常性の回復を示す。
  • 氣功理論:「氣は意に従う」。意識の硬直が氣の滞りをつくり、受容が氣の流れを回復させる。

 

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