気功について

独学で氣を学ぶ~氣が感じられない人が氣を感じるには

2022年8月15日

この記事は

・どれだけやっても「氣」がまったく感じられない
・自分の好きなことややりたいことがわからない
・根拠がないこと以外は信じられない
・何をやってもおさまらない痛みがある
・肩こり、腰痛、冷え性、胃腸の不調がずーっと続いている
・楽しい!うれしい!という感情に乏しい
・生きることが虚しい、楽しくないと感じる
・社会的評価が最大の重要事項だと思う
・色んなことがうまくいかない

という方のスコトーマがはずれる内容です。

 

私達は自動処理で生かされている

私達はおどろくほど自分の身体に気づいていません。

病気になって初めて無理をしていたことを自覚したり、怪我や事故を経験してはじめて身体の使い方が間違っていたことが理解出来たり、マッサージを受けて痛みやこりに気づいたり、お腹を壊してから、悪いものを食べたことに気づいたり… 自分の身体や心がどんな状態にあるのか、その多くを意識できないのが私たちです。

なぜなら、身体と心の機能や働きはすべて自動処理されているからです。

自動処理されているので、たとえ悪いものを食べて具合が悪くなっても身体が勝手に処理して元に戻してくれます。

生命維持のための代謝活動や、欲求はもちろんのこと、何が好きで、自分にとって何が大事かということすら、自動処理されているのです。

自分の意志で選び行動し生きているように思えますが、そうではなく、誰もが無意識にインストールされているシステムに動かされています。

そしてこのインストールされているシステムを取り替えない限り、現実も、人生も、性格も、生き方も、健康レベルも変わることがありません。

そしてこのシステムを変えるためには、自動処理化されているシステムを意識にあげる必要がありますが、実はそれは難しいように聞こえてそんなに難しいことではありません。

自分自身を観察して、自分の価値観や思い込みに気づくだけで良いのです。

「気づく」ことでRゆらぎが起きてシステムに介入可能になるからです。

そして「氣を感じる」という行為自体が、実は自己観察そのものであり、Rゆらぎを起して無意識にインストールされているシステムを書き換えていくことなのです。

 

自分の感覚がスコトーマに隠れるのはなぜか

ところが、氣功を始めても「氣がわからない」という人もいらっしゃいます。

氣を感じるということは「身体を意識にあげる」ということですから、氣がわからないという人は自分の身体の感覚がわからない人です。

氣が感じられないというのは、能力の問題ではなく単に身体がスコトーマに隠れているというだけに過ぎません。

なぜそうなるのかというと、一つは社会的、宗教的、政治的… その他様々な価値基準や固定的観念に縛られて、自分の内側の感覚よりは外側の基準を最優先して生きていると、自分自身の重要度が下がり、自分がスコトーマに隠れます。

もう一つは、自分の内側を観るのが怖いとか、嫌だと強く思っているとやはりそれも自分の内面がスコトーマにかくれます。

この場合は、ネガティブな情動を伴う強烈な体験を処理しきれず、意識にあげないようにする事で自分の身を守るという防衛システムが働いていることが多いです。

いわゆる心理的トラウマです。

それを思い出したり、感情を追体験するのが嫌なので思い出すことがないようにしている場合、自分の内的な感覚すべてにおいて感覚が鈍ることがあります。

でも、一般的に氣が本当にわからないケースの多くは前者のパターンが多いように思います。

つまり、自分がどう感じるかではなく、他人がどう感じるか、他人がどう評価するか、社会的基準に自分があっているかいないか、

そういう基準を何よりも大事に生きていると、本当は身体で感じているはずの違和感や、抵抗をスコトーマにかくして外側の基準に無理矢理自分を合わせていくので、だんだん自分が感じている事がわからなくなります。

裏を返せば、自分を信じられないということでもあります。

自分の感覚や価値観を信じて行動したが為に、何か痛手を被ったという経験があったのかも知れません。

いずれにしても、自分の感覚や自分の能力、自分自身の価値など、自分自身に全く信頼を置いてない場合、外側に自分の価値や能力の根拠を求めようとするので、

社会的な評価を得るために頑張ったり、あらゆることで人よりも優れていることが必要となったり、とにかく自分の外側の反応によってしか自分を評価できなくなります。

すると、自分の本音や、本当は何が嬉しくて何が悲しいのかに気づくことができませんし、もしかしたら長らく「しあわせ~」とか「楽しい~」という心から解放された感覚すら感じたことがないケースもあるでしょう。

 

心で感じるべき痛みが身体で表現される

外界の状況に合わせて、私達の身体は意識に上がらないレベルで様々に反応しています。

それは血圧や血糖値の変動や、ホルモンバランスの変化などの生理反応や、怖いとか嫌だ、などといった情動でもあります。

怖いとか嫌だという気持ちは、危険回避のための大切な信号なので、不快であってもきちんと認識することが大切です。

自分の身体から発せられる怖いな、嫌だな、これが欲しいな、さみしいな、悲しいな… 等といった声に耳を貸さず、それらを優先せずに

「こうでなければならない」「こうあるべきだ」と外側の基準や評価に合わせることを優先していると、

脳のサバイバルモードを駆動させ続け、つねに緊張やストレスに耐えつづけるという生き方を自分に強いることになります。

この場合、脳内は文字通り「生き残り(サバイバル)」のための身体反応をつくり出し、弱肉強食の世界を現実化します。

これでは、本当は感じているはずの本音やなんかちょっと違うんじゃない?という違和感はますますスコトーマに隠れます。

そんなことを感じていては、生き残れない、勝者になれない世界に自分で選んで住んでいるからです。

そうすると、本当は心で感じるべき強い不安や恐れや、悲しい、さみしい、嫌だ、といった情動が、強い緊張やこわばり、そして痛みとしてしっかり身体に表現されます。

心で痛みが感じられないので、身体で感じていると言ってもいいのかも知れません。

これは、本当の気持ちに気づいてよ、もっと自分を認めてよ、という身体からのメッセージでもあるので、痛みがあるならまだ良いでしょう。

でも自分が肩が凝っていることに気づかない、歯を食いしばっていることに気づかない、緊張していることも弛緩していることすらも感覚としてわからない、といったことは驚くほどよくあることです。

この様な状態にあるときには、氣が感じられないといっても不思議ではありません。

いずれにせよ、それは能力の問題ではなく感じているはずのことが意識できていないだけのことなのです。

もしあなたがそうなら、まずそういう自分を認識することからはじめましょう。

自分がいかに自分自身を軽んじてきたのか、いかに自分自身を無視してきたか、そういったことに意識を向けてみることです。

そして素直に愚直にやってみることです。

五感をフルに使って、自分感覚を取り戻しましょう。

美味しいものを食べ、良い香りを嗅ぎ、美しいものを観て、肌で感じ、緊張から解放される… そのような感性を思い出すのです。

例えば、「あれ、なんか感じる気がする」と認識するだけでも新しいアルゴリズムが機能しだしあなたを進化させていきます。

身体の感覚に気づいていなかったということに気づくだけでも大きな変化なのです。

気のせいでもなんとなくでもかまわないので、自分の意識に上がったことを丁寧に拾うことが大切で、その繰り返しで少しずつ「感じる」ということがわかるようになります。

積み上げられた積み木が、たった一片を失うだけで崩れ去るように、小さな気づきが信念体系の大きな揺らぎを起こして

スコトーマに隠れていた情報を見せてくれるようになります。

want toとゴールだけがあなたをそこへ導きます。

 

根拠はつねに自分の中に置く

このとき、氣を感じるという根拠は自分の中に置くことを意識することが大事です。

簡単に言うと、自分がどう感じるかを常に大切にするということです。

あなたは自分以外の誰かの反応や社会的価値観や基準を根拠に自己評価をしてきました。

だから、最初はなかなか自分の内側に目を向けることが難しいと感じることがあるかも知れませんが、でも自分が何をどう感じるのかをいつも意識するようにしていくこと自体がこれまで生きてきた世界の枠を広げて行くことにつながるので、楽しみながら取り組むと良いと思います。

例えば、一輪の花、一枚の絵画、一曲の音楽、そういったものを前にして自分はどんな印象を受けるのか、どんな感情が生まれるのか、そういうことを意識にあげる練習を積むことです。

そしてどう感じるかは、自分が感じたとおりで良い(自分の中に根拠を置く)のです。

自分は嬉しい気持ちになったのに、他の人達が悲しいと表現したとしてもそれで全然かまわないということです。

氣を感じるということは、一輪の花をみてそこにはかなさを感じたり、一枚の絵画を観て感動したり、音楽を聴いて壮大な宇宙をイメージする… といった感覚と全く同じです。

何かを認識したときには、言葉とイメージと体感が同時にわき起こっているということに気づいていくということです。

リンゴと言って、10人が10人違うリンゴを思うかべるのと同じで、どのリンゴが正解かなどといったことを決めるのは意味がありません。

自分の感性は他人と比べようがないことです。

だから外側(他人の意見や価値基準)に根拠を求めなくても良いし、求めてはいけません。

自分がどう感じるかを感じる訓練をしていくことです。

そしてそこに信頼を置くようにしていきます。自分が感じたことに確信を持つだけで良いのです。

そのようにして、自分が感じていることに意識的になることを繰り返していけば、身体の感覚も反応も、さらに自分の本当の気持ちや本音も意識にあげられるようになります。

すると、どれだけ自分が自分に無理を強いていたかとか、自分にインストールされている無意識のシステムに気がつけるようになります。

気づくことは自動処理システムを変えていくための大切な要素なので、そうなると、新しい自動処理システムが稼働しはじめるようになります。

自分がどう感じるかをいつも大切にしていれば、自ずと氣を感じるセンスは磨かれ、さらに自己認識が広がり、新しいゴールやヒントやチャンスも見落とさないようになります。

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